本ココロ屋と、こころやと、その1

先月の天満橋での展示会で、何と僕が生まれた頃(1970年代前半)の衣装文庫を持ってきてくださったお客様がおられて、もう40年も前のものですから懐かしいやら嬉しいやらびっくりするやらな事がありました。聞けばお祖母様が堺に住んでらしたとかで、あの当時、粉浜商店街は飛ぶ鳥を落とす勢い、南海沿線の堺はもとより泉州までが商圏やった事を思うと、さもありなん。しかしその当時のものはウチには残っておりませんから、バタバタしていてゆっくりお話し出来なかった事が心残りでなりません

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これは一つ前の衣装文庫

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これは今の衣装文庫です、このデザインがシンプルで気に入っているのでしばらくは(10年くらいは)このままで行きます。自分でデザインして発注しています、美大を出てそんな仕事に携わっていた事がこんな所で役に立つなんて。。。

前のものは 織と染 本こころや と書いています

今のは こころや です

よくお客様から「どない違うの?」と聞かれますから、いっぺんココに記しておこうと思います

「こころや」という名前は『商いは心が大事やで』という曽祖父の想いから命名されたそうです

この一風変わった屋号はおそらく本庄公設市場に入った大正時代の頃に付けられたようです、当時呉服屋で「まからんや」「やすうりや」などわかりやすい屋号が流行しましたから影響もあったんでしょう。それまでは「名倉屋」か「名倉呉服店」と古い資料にはそんな文字も見えますが、確かな事はわかりません、ただ曽祖父の弟の系統が今も「名倉屋」で呉服屋をやっています

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これは大正時代のウチの販売風景ですが、変体仮名で「古々ろ屋」と書いてあるのが見えます

時代は下って昭和10年代、中崎町(本庄公設市場)の店は番頭さんに暖簾分けをして、祖父は阿倍野(現在のキューズモール付近、今は再開発の立ち退きで道になっています)に店を出しました、その時に祖父の店は本家であるところから「本こころや」中崎町の店は「北こころや」になりました

北こころやは昭和60年ギリギリまであったそうですが今は廃業されて息子さんは城北で串カツ屋さんをされています

話が長くなりそうですから、続きは明日




ココロヤ・秋の音色展…東京2015

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月末は東京にお邪魔いたします

2015年11月28日(土)より30日(月)の3日間
営業は11時~18時まで

西荻窪:ぎゃらりーがらんにて


伊勢木綿新柄お披露目致します
wa-urara×こころやオリジナルデニム着物と新作のうらら帯の発表
・秋と冬のキモノや帯そして着物まわりの色々
・絹の墨流しを染めました
・スンバ島とカトマンドゥの布たちをご覧ください(一部帯に加工しました)
「さくさくぷらす」Tシャツ型襦袢「ふぁんじゅ」新作

そして
新進気鋭の作家さん
・七宝焼帯留「kimito」さんの作品をご覧ください

皆様どうぞよろしくお願い致します
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2015-11-09 Mon 17:51 ∧top | under∨
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