お見舞い |
まずは皆様方に心からのお見舞いを申し上げます。
こんなのんきなブログですし、どうも書く気になれませんでした。 仙台からいらしてくださる、いつも笑顔の○○さんの安否がわからず、とても心配していましたが、無事だとご連絡を頂きました、でも壮絶な状況のようで、メールを読んで胸が詰まりました。 桃葉さんが、番外編でブログを書いてらしゃいます。 「私たちにできること」 書いてはること、おっしゃる通りやと思います 「献血」 「募金」 そしていつも通りの、いつも以上の生活をすること。 気持ちが落ち込んで萎縮すると、世の中の動きが鈍くなってしまいます、お蔭さんで無事な僕たちが ちゃんと世の中を回さなきゃと思います。 普段、一級酒なら特級酒、発泡酒ならエビスビール、変な例えですが。 いま、お酒が売れてないようですね、売れなくなると従業員さんが困りはりますもんね。 ちょっとでも早く笑顔がたくさんになりますように。 僕はキモノを頑張ります。 キモノで笑顔になって下さいね。 もうすぐお彼岸です。 「暑さ寒さも彼岸まで」 うららかな春がやってきて、桜が咲きますよ。 キレイなキモノでどんどんお出かけしましょうね。 |
オープン |
![]() 住吉っさんの門前町、我が粉浜商店街のホームページが出来上がりました こちらです まだ始まったばかりですけれど、これからどんどん濃くして行きます。 どうぞお楽しみくださいね! ちなみにツイッターも作りました お得情報満載になるようにみんなで頑張りますので、フォローしてくださいね。 ツイッター |
はまぐり |
お雛さんの時にはつきものの「蛤のおつい」
京の料亭さんに教えてもらった、我が家のレシピです(4人前) ハマグリ、大きいのなら一人2つくらい、小さいのなら3つくらい お酒150cc、おこぶお好みの大きさ(うちはけっこう大きめなのを入れます) お酒150ccと同じ量のお水を鍋に入れて、おこぶを入れておこぶをふやかします ふやけたら弱火から中火でおこぶのダシをゆっくり出して、沸騰前におこぶは取り出します おこぶと入れ違いにハマグリをいれて、強火にしてガーッて蛤を茹でます 蛤のふたがあいたら、実ぃの柔らかいのが好きな方はすぐ取り出して、 ちょっと濃厚なお汁にしたければ、もう少し茹でて蛤を取り出します(でも実が堅くなります) 美味しいだしのベースができました これをお水で薄めます、薄味がお好みの方は、お酒の5倍のお水(750cc) 蛤の味が濃厚なのがお好きな方は、お酒の3倍(450cc)~4倍(600cc)のお水を入れます 味は見ながら加減してくださいね もう一度沸騰させて、アクを取り、お塩で味付けをして出来上がりです お椀に蛤を入れ、熱々のおついを張って、あしらいはウド良し、菜の花良し、木の芽良し ほんの少うし胡椒を振ったり、山椒の粉を振ったりする時もあります 結構カンタンで、でも蛤のイイお出汁がとれるし、教えてもらってからはずっとこのやり方なんですよ |
時代考証 |
今、御所方がお召しになる十二単衣はこんなのです。
![]() 幕末に平安時代の十二単衣のフォルムが復活します、それが今も続いています。 それまでは応仁の乱で衣裳のしきたりが全く分からなくなってしまい、こんな形でした。 ![]() 我が家のお雛様の拡大写真です。 ![]() 江戸時代の復興前の十二単衣やという事がわかります、またおすべらかしを結うのは江戸時代半ば以降ですから、江戸時代半ばから幕末のあいだまでの姿を模しているのがわかります。 その頃に出来た、歌舞伎のお芝居の十二単衣もこんな形をアレンジしたものが多いです。 ![]() お内裏様です。 ピーンと立った「纓(えい)」を付けてはります、冠の後ろに付いているやつです。 江戸時代の半ばに考案されました。 天皇陛下以外は付けられない纓なんですよ。 ![]() 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)と云いまして天皇陛下の礼装です、ご即位の式の時にもお召しでしたね。 この色は高貴な色とされ昔は禁色でした。袍の柄は桐竹鳳凰紋と決まっていまして、 うちのお内裏様はそうではないのですが、畏れ多いという事で柄を変えているのだそうです。 ちなみに陛下以外はこんな冠です。 ![]() 垂纓の冠(すいえいのかんむり)と言います。ちなみに皇太子さまだけがお召しになられる装束もあります、 「黄丹の袍(おうにの袍)」と云う鮮やかな装束です。 聞く所によると平安時代までは、烏帽子や冠をはずした姿を人に見られるのは、スッポンポンを見られるのと同じ位恥ずかしい事やったとか。 烏帽子は普段着、冠はフォーマルなのですが、天皇陛下は常に冠をかぶられ烏帽子はお召しにならなかったそうです。 ![]() 三人官女。 ![]() 眉毛があります。 真ん中の三人官女。 ![]() わかりますか?眉を落としてお歯黒を塗ってはります、結婚してはるんですね。 お歯黒や眉剃りの風習って明治までは残っていたそうですね、今も祇園町では舞妓ちゃんが芸妓になる前に付け春そうです、まれに歌舞伎の女形さんも役で付けてはりますけれど、なんとも色気がありますね。 装束の写真は僕の宝物「原色日本服飾史」って本から撮りました。 高価なものですが、子供の頃お金を貯めて買いました。 美しくて美しくて何度も何度も見たので、すっかり覚えてしまいました。 だからチャンバラで時代考証のチグハグなのはすぐわかります、歌舞伎は無茶苦茶な時代考証ですが、逆に凄みがありますね。 |
お雛さま |
新派「日本橋」
『雛の節句の明くる晩 春で朧でご縁日 同じ栄螺と蛤を放して 巡査の手帖に名を並べて 女房と名乗って 一緒に詣る西河岸の お地蔵様が縁結び これで出来なきゃ世界は闇だヮ』 孝夫玉三郎丈の美しさ、鏡花の流麗な台詞が目に耳に残ります。。。。。 我が家のお雛さまです。 ![]() 妹が飾ったのでお内裏様が逆です。 いえ本当はこれが全国的なスタンダードなのですけれど、京大阪はこの反対(親王様が向かって右、おひいさまが向かって左)が正しいと教わりました。 明治のご一新までは、京大阪の式がスタンダードやったそうで、実際の御所さまもそのようにお座りになられたそうです(親王様が向かって右、おひいさまが向かって左)。 開国以来、欧米に倣えとということで、欧米では王様とお妃様の立ち位置が日本と逆「王様が向かって左、お妃様が向かって右」なのだそうで、御所さんもその立ち位置に変えられたそうです。 なのでお雛業界もお内裏さんの置く位置を変えたそうですが、京大阪は古式を守っているのやと聞きました。 今年は姪の初節句なので皆でお祝いをしました。 「ちらし寿司」「蛤のおつい」「お雛あられ」「白酒」でお祝い。 ココロヤ特製のモスリンの一つ身を着せました。 ![]() ![]() 大人もののモスリンの襦袢地なんです。 それを一つ身に縫います、赤い裏地は裾回し、モスリンの無地です。 もうこの染めをやっているところはありません。 たくさんストックしていましたが、残り男物が3反女物が2反です。 お甚平さんも付ければ1反から2着取れますが、もう少ししか出来ません。 20000円近くする高いものですが人気がありまして、でももう少ししか出来ません。。。。。 「日頃はつましゅうしてもキッショキッショはちゃんとしなはれや」って昔から口を酸っぱくして、よう云われまして、訳すと「普段はつつましく生活をしても、通過儀礼や年中行事はちゃんとしなさい」って事ですけれど、そういう生活スタイルって都会では廃れつつありますけれど、今になって、ああなるほどせやなぁと思いますねぇ。 |
弥生朔日 |
二月が逃げました。
弥生三月、春雨の中住吉っさんにお朔日詣り、三月は去りませんようにとお願いしました。 そのまま京へ、西陣と室町を観世水歩き、夏物を見立てました。 「三勝染」に「源氏ゆかた」「竺仙」まだまだ寒いですが、もうゆかたです。 半ばまでには、伊勢木綿の「臼井織布」さんのところと、板締め絞りの「張正」さんのところに伺おうと思っております。 ![]() ![]() |